下呂温泉の旅館・宿・日帰り特集!!



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2006年11月29日

下呂温泉の各種データ

下呂温泉の一般的な各種データをまとめてみました。
(※注)各旅館で泉質が異なりますので、こだわりのある方は御宿泊をお決めになる前に今一度ご確認をお願いします。

泉質 : アルカリ性単純温泉
泉温 : 摂氏84度

適応症 : リウマチ性疾患/運動器障害/神経麻痺/
       神経痛/病後回復期/疲労回復

陽イオン成分 / mg / mval / mval%
水素イオン / ― / ― / ―
リチウムイオン / 0.1 / 0.01 / 0.06
ナトリウムイオン / 318.8 / 13.87 / 81.63
カリウムイオン / 51.6 / 1.32 / 7.77
アンモニウムイオン / 痕跡 / ― / ―
マグネシウムイオン / 11.5 / 0.95 / 5.59
カルシウムイオン / 16.6 / 0.83 / 4.88
ストロンリウムイオン / 0.2 / 0.005 / 0.03
バリウムイオン  / 0.1 / 0.001 /  0.01
アルミニウムイオン / ― / ― / ―
マンガンイオン / 0.051 / 0.002 / 0.01
鉄(Ⅱ)イオン / 0.1 / 0.004 / 0.02
鉄(Ⅲ)イオン / ― / ― / ―
銅イオン / ― / ― / ―
亜鉛イオン / ― / ― / ―
陽イオン 計    / 399.0 / 16.99 / 100


陰イオン成分 / mg / mval / mval%
フッ素イオン / 1.1 / 0.06 / 0.35
塩素イオン / 60.5 / 1.71 / 10.05
臭素イオン / ― / ― / ―
ヨウ素イオン / ― / ― / ―
亜硝酸イオン / ― / ― / ―
硝酸イオン / ― / ― / ―
水酸イオン / ― / ― / ―
硫化水素イオン / 痕跡 / ― / ―
硫酸水素イオン / ― / ― / ―
硫酸イオン / 125.0 / 2.60 / 15.29
リン酸水素イオン / ― / ― / ―
メタ亜ヒ酸イオン / 771.3 / 12.64 / 74.31
炭酸水素イオン / ― / ― / ―
炭酸イオン / ― / ― / ―
メタケイ酸イオン / ― / ― / ―
メタホウ酸イオン / ― / ― / ―
陰イオン 計 / 957.9 / 17.01 / 100

2006年11月28日

下呂温泉について

下呂温泉(げろおんせん)は、岐阜県下呂市(旧国飛騨国)にある温泉。
林羅山が三名泉に数えたことは有名(ただし、下呂ではなく湯島と表記)。
2006年10月27日に「地域ブランド」(地域団体商標)として認定されている

アクセス
鉄道:高山本線下呂駅すぐ
自家用車:国道41号利用のこと。温泉街近くに市営駐車場あり。

泉質
単純泉

温泉街
飛騨川の両岸に大型ホテルや旅館が並ぶ。

飛騨川(現地では益田川ましたがわとも呼ぶ)の河川敷に「噴泉池」がある。他にも共同浴場の「白鷺の湯」「幸の湯」や、日帰り入浴施設「クアガーデン」が存在する。

下呂温泉旅館共同組合が「湯めぐり手形」を発売している。手形1枚で加盟旅館のお風呂3箇所に入浴でき、価格は1200円。1つの手形で同時に2名以上の利用はできないので注意が必要であるが、日帰り入浴でも有名旅館のお風呂に気軽に入ることができる。

駅の近くには温泉スタンドもあり、また温泉街の各所には足湯も存在する。


歴史
延喜年間から天暦年間の頃に、現在の温泉地から離れた場所である、湯が峰の山頂付近に温泉が湧出したのがはじまりである。

1265年に山頂からの湧出は止まったが、現在の温泉地である飛騨川の河原に湧出しているところを発見された。このことは白鷺伝説として伝わる。

温泉地は飛騨川の氾濫の度に壊滅的な被害を受けてきたが、その度に復興してきた。

また、「下呂」の名前は昭和以降に使われだした名前で、それ以前は「湯之島」と呼ばれていた。


土産物
下呂膏 - 黄蘗(オウバク/キハダ)、楊梅皮(ヨウバイヒ)などが配合された地元特産の膏薬。
朴葉味噌 - 朴の葉に包まれた「ねぎ味噌」。飛騨牛のひき肉入りのものもある。
栃の実せんべい - トチノキの種子を練りこんだ煎餅。甘みがあり軟らかいものが多い。
下呂の香り - 湿らせたビスケット2枚に小豆餡をはさんだお菓子。食品としては破天荒な名前だが、他メーカーからも「下呂じまん」など類似した商品名がいくつか存在する。
下呂牛乳 - ビン入りのコーヒー牛乳などが存在したが、メーカーの合併により惜しまれつつ改名に至った。
さるぼぼ - 意味は「猿の赤ちゃん」。赤い服を着たのっぺらぼうの人形。

2006年11月27日

林羅山

林羅山(はやしらざん、天正11年(1583年) - 明暦3年1月23日(1657年3月7日))は、江戸時代初期の儒学者。林家の祖。羅山は号で、諱は信勝(のぶかつ)。字は子信。男性。出家した後の号、道春(どうしゅん)の名でも知られる。

天正11年(1583年)京都において産まれるが、ほどなく伯父へ養子に出される。小さい頃から秀才としてうたわれ、文禄4年(1595年)京都建仁寺で仏教を学ぶが、僧籍に入る(僧籍に入るという意味は出家を表す)のは拒否し家に戻る。

独学を進めるうちに朱子学に熱中していき慶長9年(1604年)藤原惺窩(ふじわらせいか)に出会う。羅山にとって惺窩との出会いは、精神的、学問的に大きく影響を受けることになり、惺窩も羅山の英明さに驚き、翌年の1605年には徳川家康に会わせる。惺窩の勧めもあり家康は、以後羅山を手元に置いていくことになる。羅山は家康に抜擢され、23歳の若さで家康のブレーンとなった。

1607年には、江戸に赴き2代将軍徳川秀忠(家康の3男)に講書を行った。寛永元年(1624年)3代将軍・徳川家光(秀忠の長男)の侍講になり、以後幕府政治にも関わっていくことになる。寛永12年(1635年)武家諸法度の起草にあたり、翌1636年には伊勢神宮参拝典礼にもあたった。

なお寛永9年(1632年)上野忍が岡に、先聖殿を建設したがこれが後の昌平坂学問所になる。江戸幕府の学問所にあたり儒学を広げていく元となっていく。

羅山は、初期の幕府の土台作りに大きく関わり様々な制度、儀礼などのルールを定めていった。また、儒学だけでなく紀行書なども著すなど多彩な面がある。

なお、大学頭(だいがくのかみ)は、3代林鳳岡(羅山の孫)の時代からであり、以後林家は代々幕府の学問の責任者を担ってゆく(駿河文庫の管理を担う)。

墓は東京都新宿区市谷山伏町にある。